会員のつぶやき
三文役者と岡村昭彦
暮尾 淳
 殿山泰司こと愛称タイちゃんは、三文役者を自称しながら脇役に徹して数々の映画に出演し(ただし全篇台詞なしの『裸の島』一本のみは主演作品で相手役は乙羽信子、監督は新藤兼人)、1989年4月30日に肝不全のため74歳で永眠した。実家は、と言っても義母が興したのだが、銀座のおでん屋「お多幸」だったので、泰明小学校に通った。タイちゃんは父親を実母から奪った義母になつかず、生涯母恋しの心を抱いて生きた。「タイちゃんの母性への憧れ、慕わしさと甘えは、ひろく女性に向けられ、おれは母恋しさから女好きになったんだ、とにやにやしていた」と新藤兼人『三文役者の死』(岩波現代文庫)にはある。深酒をしての逸話は多いが、肝硬変が進んでからの晩年は酒を断っていたという。
 
 こんな紹介をしなくても、ハゲ頭で耳が大きく口を突出し気味でせりふをしゃべり、小股に歩き、愛すべき小悪党にはなれるが、金持ちと権力者の役をやらなかった(やらせてくれなかった)、ジーパン・サングラスで浅草や新宿を徘徊し、ミステリーとジャズと女を愛し、死後二つの墓ができたタイちゃんのことは、映画ファンならご存知であろう。
 
 殿山泰司は、独特の話術体で『三文役者あなあきい伝』ほか何冊もの本を出しており、その一冊『三文役者の無責任放言録』(1966年1月、三一書房)に次の個所がある。
 
 少しばかり走り行く風景を眺めてたけど、すぐ倦きてきた。風景てのは倦きるもんやね諸君。オンナと同じやな。ポケットから、読みかけで持ってきた岡村昭彦『南ベトナム戦争従軍記』を出して読む。
 最近読んだ本の中で、こんなオモロイ本はないな。息もつかせず読ませよるわ。こんな勇気のある素晴らしい青年が、わが祖国にも居たのかいなと、オレはビックリしたで。 シッカリした眼を持ってるのは何よりも頼もしい。
 南ベトナムのこともやけど、ニッポン人としてイロイロと参考になるで。
 オレはニッポンの政治家で、会ってみたいなあと思う人は、1人もいないけど、この青年には会って話をしてみたい。南の空の風雲急なるを思えば、岡村氏の健闘を心から祈りたい。
 
 1915年10月17日神戸市で生まれ、召集されて中国で捕虜生活を送り1946年に復員してきた殿山泰司は、新幹線に乗っていたこのときおそらく50歳、岡村昭彦は36歳ですでに南ベトナムへは入国禁止となっていた。先の新藤兼人の『三文役者の死』には「タイちゃんベトナムへ行く」の章があり、この後(割合早くにだろう)殿山は「徳間書店から派遣され、カメラマンを同行して取材旅行をしている」とあり、この派遣とは1967年1月創刊の「TOWN」のことを指していると思われるが、今わたしの手許には1966年10月創刊予定の同誌テスト版しかない。
 
 そのテスト版の目次には、「岡村昭彦ヒューマン報告」と並んで「殿山泰司世界を駆ける-ラスベガス無情・ニューヨーク無宿」とあるが、わたしは殿山のレポートを全く覚えていない(「TOWN」は1、2月号を出して終わったはずで、わたしから借りている人がいたら返してほしい)。文学的政治的青二才だったわたしは、その「的」が邪魔をして、もちろん出版当時に『三文役者の無責任放言録』を読んでいない。したがって、岡村昭彦と殿山泰司との対談など考えもしなかった。岡村にはたらきかけて、もし実現していれば、「LIFE」のフォト・ジャーナリストと自称三文役者のバイプレーヤーの数時間は、すれ違いばかりだったとしてもなかなかのものであったろう。女(性)好きという点では、どんな展開を見せたろうか。
 
 昼酒を飲んでばかりいる生活を少しは反省して、21世紀に対峙して健闘を祈り、会って話をしてみたい青年を、わたしも探そうと思う。