会員のつぶやき
日本語と創造力
岡崎昌史
 日本語に対する関心がこのところ高まっている。「声に出して読みたい日本語」など、日本語に関する本は版を重ね、総合雑誌も日本語特集を組んでいる。言葉は人間関係の基礎となるものだけに、日本語に対する関心が高まり、議論が巻き起こること自体は歓迎すべきことなのだが、最近の風潮は「昔は良かった。今の言葉はなっていない」という後ろ向きの姿勢が見え隠れすると感ずるのは私の思い過ごしであろうか。
 戦後の大規模プロジェクトや大型商品の開発話を描く、NHKの「プロジェクトX」が中島みゆきの主題歌とともに、中高年を中心に人気があるが、これも厳しい見方をすれば、「懐かしの○○」という路線だろう。
 たしかに、日本語の抱える問題は多い。カタカナは日本人の思考力を拡げるのに大きな貢献をした。しかし、最近はカタカナがあるために、日本語による思考能力が落ちているのではないかと思う。例えば、映画のタイトルを見てみよう。人気映画の「ロード・オブ・ザ・リング」はロングセラーの書籍「指輪物語」の映画化だが、なぜ英語の原題をそのままタイトルにし、指輪物語といういい題を使わないのか。アクション映画の老舗「007シリーズ」の新作も「ダイアナザーデイ」。英語の原題がそのまま日本でのタイトルになっている。日本語でその言葉に対応する適当な言葉が無いのならしかたがないがそうではない。
 岡村昭彦の、定本「ホスピスへの遠い道」の解説で、米沢氏は1981年に監修したホスピスの訳本『ホスピス-末期ガン患者への宣告』の中で「ホスピスという言葉は今日では何の異和もないが、当時は『ホステス』と同類の仕事と誤解されたり、ポスト等の誤植と思われるのではと担当編集者も真剣に考え、かんかんがくがくと議論したほどであった。その時岡村は『歴史が変わる時には言葉も新しく変わらなければならない』といい、『ホスピスをホステスと間違ってもいい。誤解は理解の始まりだよ。新しいものが誕生するときはきまってとんちんかんな笑い話がつきものだ』と述べた」と書いている。
 そのような前提を踏まえて、カタカナを使うのなら納得もできるが、現状はただ、横文字をカタカナにして、わからない言葉で人を煙に巻く方が多いのではないだろうか。1986年に諏訪赤十字病院・看護部で岡村昭彦ゼミに参加していた人達が患者の立場に立ってわかりやすい言葉で作成した「入院あんない」の考え方とは対極にあるといってもおかしくない。
 ちくま新書「ナノテクノロジーの世紀」(餌取章男・菅沼定憲共著)の中で紹介されている湯川秀樹博士の言葉をこれからの日本語を考えるための指針としたい。1948年、プリンストン高等科学研究所のオッペンハイマー所長に招かれ、米国へ行くことになった博士は、渡米の直前に科学雑誌「自然」に寄稿した。その中で「学問も一つの生き物である。個々の学者が外部からの刺戟に対して様々な仕方で反応し、それが又他の学者に対する新しい刺戟になり、学問の成長が促進されるのである」と書いている。学問を日本語、学者を人間と言い換えてみれば同じではないだろうか。