アキヒコと私
アキヒコと私
植村佳弘(北海道新聞写真部)
十字街からベトナムへ。ホスピスへ。―岡村昭彦の軌跡―
 
 1975年に終結したベトナム戦争報道で活躍、世界的なフォトジャーナリストとして知られる岡村昭彦(1929-85年)。その岡村が二十六歳の時に撮影した8ミリフィルムが2007年12月に開かれた函館港イルミナシオン映画祭で上映された。 残された約三時間のフィルムのうち、道内関係の映像を、はこだて写真図書館が「旅の時間(とき)」と題して十五分のDVDに編集した。その中には、函館公園の「こどものくに」や自宅で遊ぶ妻と子供、列車で稚内、利尻へと向かう旅の道中、家族に見送られトラピスト修道院(上磯町、現北斗市)の神父らと青函連絡船に乗り込み青森へ向かう様子などが映されていた。
 撮影当時、岡村は十字街電停からほど近い書店「栄文堂」(函館市末広町)で新婚生活を営んでいた。8ミリでは父の面影を残したつぶらな瞳が印象的な岡村の長女、佐藤純子さんが今、店を仕切る。岡村がデザインした英文表記の店の看板や岡村が仕入れて今も棚に並ぶ医療や社会問題の書籍が、岡村の存在を静かにしかし、雄弁に語っている。  佐藤さんにお願いをして生前の岡村の愛用品を借りた。映画祭のパーティーで深夜まで酒を飲み、日和坂の民家に戻った後、撮影を始めた。黒い塗装がはがれ、真鍮の地金がむき出しになったライカM4。ずしりと重いヘルメットや靴、防弾チョッキ。酔いはさめ、朝方まで撮影を続けた。岡村がこの街で過ごした時を、ほんの少しだけでも共有できたかのような幸せとともに…。
 
 
 岡村について語るのは容易ではない。とりあえずは、ベトナム戦争を中心に世界の紛争地を駆け巡ったフォトジャーナリスト、晩年は近代ホスピスの思想と実践を日本に持ち込んだ先駆者という説明ができるだろう。しかし、それだけでは正確ではない。岡村の生涯は極めて重層的で、その蔵書が保管されている静岡県立大や市民による「岡村昭彦の会」がいまなお、研究を重ねているくらいだ。  岡村昭彦の名を一躍有名にしたのは1964年、米国の雑誌「LIFE」に掲載された「小さい戦争、遠い国での、しかも非常に醜い」と題されたベトナム戦争のルポである。ムシロに包まれたわが子の遺体を抱く老兵士、解放側戦士への執拗な拷問、全身にやけどを負った子供、手製地雷を抱いて死んだ血まみれの解放側戦士…戦争のありのままが発行部数八百
万の雑誌によって米国の一般家庭に持ち込まれた。さらに翌年、解放区に入って捕らわれるが、解放戦線のファット副議長と会見するという大スクープで解放区の素顔を伝える。
 共産主義の拡大を防ぐという目的で、アジアの一小国に、世界一の大国が侵略する。しかし、いくら爆弾を落としても戦況は勝利どころか、泥沼化する。
 自分たちはどんな相手と戦っているのか。なぜ、戦争をしなければいけないのか―。
 その大義無き戦争の実態を一庶民の目でとらえたルポは、米国をはじめとする世界中で、戦争反対への大きなうねりにつながっていった。
 それらのルポでベトナムに入国禁止になった岡村は、北アイルランドやナイジェリアから独立を宣言したビアフラなど、世界各地の紛争の取材に足場を広げていった。 1980年以降の晩年、岡村のもう一つのコアとなる業績は、近代ホスピス発祥の国アイルランドと静岡県舞阪町(現浜松市)をベースにした「バイオエシックス」(生命倫理)とホスピスの理念の紹介と実践だった。さんざん、戦場で死を見てきた男は、いかに人間らしく安らかに終末を迎えるか、というテーマにたどり着く。
 
 私が岡村のベストセラー、『南ヴェトナム戦争従軍記』(正・続、岩波新書)を読んだのは函館で過ごした高校生の時だ。沢田教一、一ノ瀬泰造ら岡村に続いて登場した戦場カメラマンの写真と共に受けたその衝撃を忘れられず、報道の仕事に就いた。 岡村の経験と比べるべくもないが、フィリピンや南アフリカ、グルジア、アルメニアなどの局地的な紛争地で取材したことがある。弾が人に当たれば、血を流して人が死ぬ。ずしりと重い二十ミリの重機弾が当たれば内部でさく裂する火薬で人の体はバラバラになる。腐乱が進む遺体からの強烈な死臭。夫や妻、子供を虫けらの如く、殺された憎悪は拡大再生産され、再び、血が流れる。すべて戦地では当たり前のことだ。
 ベトナム戦争終結から三十年以上、岡村の没後から二十年以上が過ぎた。
 岡村の理想はかなわず、今も世界では三秒間に一人、飢餓や戦争のために人が死んでいる。一方で、大義無き戦地でどうしても、国旗をはためかせたいと思う輩がいれば、兵器売買の利権にたかる輩もいる。日本では一日に百人近くが自殺。親は子を殺し、子は親を殺す。
 私たちはどんな時代に生きているのか―。人間はどこから来てどこへ行くのか―。
 生きていれば岡村と同じ年の父を今年、函館で亡くした。私もいつの間にか、そんな年になった。
 岡村の生涯の問い掛けを函館で今、もう一度思い起こす。   (2007/12/24)