『週刊朝日2006年8月11日号』週刊図書館
『ホスピス その理念と運動』シシリー・ソンダース他編、岡村昭彦監訳 雲母書房・2800円
戦争カメラマンが情熱注いだ医療改革 評者評論家 芹沢俊介
死にゆく人のケアが、生還のためのキュア(治療)と同等に扱われるべきだという理念を引っさげてわが国のホスピス運動のさきがけとなったのは、戦争報道カメラマンとして世界的に知られていた岡村昭彦であった。
岡村はカメラマンであるとともに、シャープな歴史感覚を備えていた。その岡村が世界史のなかで目を向けていたことの一つが、ホスピス運動を切り開いたシシリー・ソンダースと、彼女たちの手によって一九六七年、世界で最初の近代医療の中から誕生したホスピス−口ンドンのセント・クリストファー・ホスピスであった。
岡村の晩年の仕事は医療改革であり、それゆえ医療者、主に看護師の啓蒙に力を注いだということを教えてくれたのは、本書の解題を書いている米沢慧である。米沢は、岡村の薫陶を受けた最後の人である。二十余年を経て、その米沢によって本書の再刊が企てられたことも興味深い。
さてこの本は、ソンダースの呼びかけで一九八〇年に行われた第一回ホスピス国際会議の論文集であり、日本語への翻訳は、一九八四年である。岡村はこの翻訳の上梓された翌年に五十六歳で亡くなっている(共訳者は佐藤蓉子・現慶応義塾大学看護医療学部教授)。
死期を迎えた患者とその家族の求めに適切に応えていくことをホスピスケアといい、そのようなホスピスケアが行われるための公認された施設をホスピスという。ホスピスケアはしたがって医療的援助だけに限定されない。たとえば肉体の死がすべての終わりなのか。言い換えれば、肉体の生が個人の歴史の全体であるだろうか、死にゆく人はしばしばこうした問いの前に立ちすくむ。このような場合、哲学や宗教が求められるだろう。ほかにも心理カウンセリング、ソーシャルワークなどあらゆる人間の死をめぐる思考や経験が動員される。
ホスピスケアの第一の義務は安らぎを与えることにある。では安らぎを奪うものはなにか。末期がん患者のもっとも一般的な症状に痛みと嘔吐がある。患者の不安を取り除くためには、症状の緩和が緊急の課題である。痛みや嘔吐をコントロールするためには、どんな薬をどのように用いるのが有効かが実践を踏まえて報告されている。
ALSなど運動神経系の疾患の患者にとって最大の不安は、呼吸困難に陥ることである。このとき関係の信頼性が平穏と安心を回復できる基盤になるのだ。こういったケアの根底がすでにこの時点で話し合われ、実践されている。ほかにも今でいうところの在宅ホスピスについても語られている。ホスピス運動がはじまって十三年という時点で、はやくもホスピスという概念が、もっと大きな視野のなかに発展的に解消されていくであろうという予測がなされている。
この本はホスピス論の古典である。同時にここに集められた論考の一つひとつが今も、ビビッドに語りかけてくる。それほど基本的で大切なことが網羅され、しつかりと記述されているのである。
(せりざわ・しゅんすけ=1942年、東京都生まれ。「母という暴力」「ついていく父親」」(共に春秋社)など)
|
|